ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

そういえば「どりゃー」って言ったことはない

「どりゃー」と言って力を込めたことがない。

「どりゃー」と言って力を込める人を見たことはある。彼は「どりゃー」と言って力を込めるのが自然なタイプの男だった。特に違和感は感じなかった。
たとえば、上品なメガネ女子が重い物を持ち上げる瞬間に「どりゃー」と言って力を込めたとしたら、やはり、そこには違和感があると思う。好き嫌いはおいておいて。かなり好きだ。

僕は「知的(最高にいいほうの表現)←→陰険(最低に悪いほうの表現)」区間上の凡庸な1点に位置する人間である。要するに、「どりゃー」と言って力を込める外見をしていない。
おそらく、「お前は『どりゃー』と言って力を込めるのにふさわしくない人間だ」という他者からの強い視線を意識したが故に、「どりゃー」と言って力を込めない人格がつくられたのだろう。人は「どりゃー」になるのではなく、「どりゃー」としてつくられるのだ。

「どりゃー」と言って力を込めないまま終わる人生は、空しい。「どりゃー」には人生をバラ色に変える力がある。なにぶん経験がないから推測するほかないが、間違いなくそのはずだ。今の僕の生活が鬱屈しているのも、昨晩、携帯が真っ二つに折れてしまったのも、人生に「どりゃー」がなかったせいだ。

近いうちに「どりゃー」と言って力を込めてみよう。気づいたときにやらないと機会を逸してしまいかねない。人生は短い。

その短い人生をどうしてこうも無駄なことばかりに浪費してしまうのか。

しかしこの文章を書いてみてひとつ重大なことが判明した。僕は重い物を持ち上げる瞬間の女子が大好きだ。