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ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

とんちの日におもう。

毎日毎日が何かしらの記念日になっているようで、wikipediaの「今日は何の日」的な項をちらと見てはうんざりしている日々なわけだけれど、うんざりついでに書かせてもらえば、今日1月9日は「とんちの日」なのだそうだ。「一休」の語呂合わせだとか。インシャラー。「毎月19日は〜」とかだったらついうっかりカラシニコフを大量密輸してこの国の転覆をはかりそうなところだった。年1回に押しとどめた節度によって、僕の心の安寧や、ひいてはこの国の平和に貢献したことになる。かくも気高きとんちの日、永遠なれ。

正直なところ、わりととんちのたぐいは好きなほうだ。お笑い番組を眺めていても、勢いで吹き出してしまうものよりは、作り込まれたもののほうに親近感を感じる。「笑いはしなかったけど、これは上手いねえ」という芸人を見ると応援したくなる。けれど、とんちに近いとはいえ、先日「爆笑レッドカーペット」で観た「Wコロン」というコンビまでいってしまうと少し気恥ずかしい(http://jp.youtube.com/watch?v=v3om9byc9gM)。まあ、これは単に見せかたの問題かもしれない。とんちは手慣れたふうに披露すると途端に鼻につくが(だからこそアニメの「一休さん」は設定を子どもにすることでその緩和をはかっている)、そのイヤミさを笑いにするにはねづっちさんの「整いました」はよく出来過ぎていて、スキがない。だから、観客(というか僕)はどっちの側で味わうべきか混乱し、その狼狽が抜けないまま終わってしまうのだ。と書いてみたらどうやらこれは芸人の問題ではなく僕の問題のようだな。好き嫌いというのはいつだってこちら側に答えがある。

あ、そう、とんち、とんちの話だった。

とんちとはちょっと違うのかも知れないけれどとんちっぽい(英語で言うところのtonchyな)(と書いて後悔はしている)(嗚呼)言葉は数あるが、最近聞いたフレーズで、ちょっと気に入ったのがある。フリの部分をばっさり刈ってエッセンスだけ加工して紹介。

 みずがめ座の人間の多くがそうであるように、私も星占いを信じない。

古典っぽい匂いもするが、知らなかった。この、一瞬気づかない感じが、トンチーだ。あと、無自覚に矛盾を抱えている主人公の卑小さが、いい。
話題が自分の星座になる機会は少なくない。特に飲み屋はまずい。ついうっかり、酔った拍子に手慣れたふうにこのとんちを披露してしまいそうだ。そして、みずがめ座の人間の多くがそうであるように、場末の女に鼻につく男だと認定されるのだろう。とんちで解決する人生なんてない。1月9日はそれを戒めるための日だ。インシャラー。