ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

「さらしくび」というタイトルの歌集はどうだろう

 冥福って、そんなに軽々しく祈っていいものなんでしょうかね。

 言葉を重ねる気分じゃないので、昔書いた未完の小説の断片を置いておきます。二十歳ぐらいの頃の文章ですが、意見は変わってない。というか、進歩していない。


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 私は葉書の整理係だった。読者から毎日寄せられる色々な投稿や意見、質問を、一枚一枚読み、コピーを取って整理し、時折返事を書いた。二年ほど、そんな仕事をしていた。
 ある日、職場の同僚が事故にあい、死んだ。通勤途中のバイクが車通りの激しい環状線で不運なスリップを起こし、それまでだった。即死に近い状況だったらしい。
 色々な儀式がとり行なわれ、私はそれの全てに参加した。机も隣りだったし、家も年齢も近く、そして何より、私と彼はとても親しかったのだ。
 とても、とても、親しかったのだ。


 ひと月後、私の整理する葉書の隅には、ことごとく、こんなコメントが付け加えられていた。
 「〇〇さんの死を心から悼みます。」
 「〇〇さんのご冥福をお祈りします。」
 私は黙ってそれらを読み、ゆっくりと一本だけ煙草を吸った。こうも気軽に人を悼むことのできる彼らがうらやましくもあった。四〇円の、葉書の、片隅に、ひとことだ。あなたにとってはただの悲しいびっくり話だろうが、私にとってこれは人の死だ。それもたった一人の友人の。私はいまだに、言葉にしたくなる衝動をせいいっぱいこらえ、心に残る彼の残像を追い続けている。それが私の考える祈りだからだ。
 私は葉書を一枚一枚、丁寧に引き裂くと、窓を開け、眼下のさびれた時間極め駐車場にまいた。


 さらにひと月経つと、葉書には彼のことはまったく書かれなくなった。当然だ。愛読誌とはいえ、それほど親しくもない、面識すらない一編集者が死んだだけなのだ。ただ、私は忘れない。私は彼の死を忘れないし、お前たちが善意の名の下に彼の死になすりつけた汚ならしい精液のことも忘れない。
 彼の好きだった銘柄の煙草を買ってきて、一本深く吸った。会社の辞めどきだった。

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 タイトルと本文は、ほんの少しだけ関係がある。なぜなら、これは抗議文だからです。いつものように非常にわかりにくい抗議文ですが。