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ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

うんこの次はまんこを連呼

 スイカを見れば夏を思い出す。夏にしかスイカを見ないからだ。
 昔の人は、キュウリで夏を思い出していたはずだ。でも、今の時代、特に都会で生きていれば、キュウリを見てもあまり夏を思い出さない。なぜならキュウリは夏以外にもよく見かけるようになったからだ。

 まんこもそうなのではないか。

  ★

 おちんちんに対応する言葉がないことは長く議論されている問題である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%81%E3%81%A1%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%93

 子どものものであっても女性器は成人男性の性の対象と見なされるが故に、言葉にも女性器を指し示す以上の意味が付与されてしまうのだろう。やがてそちらの意味が肥大化し、公共の場では使えない言葉になっていく。そういう変容が至る所で繰り返されてきたに違いない。
 と、客観的なふりをして語ってはいるものの、私だって、ちんぽこを性行為と切り離して考えることはできても、まんこを性行為と切り離して考えられているかどうかは微妙である。男子だからである。男子からすれば、女性器は、性行為と直結している状況でしか見ることができない。夏のスイカと同様、男子にとって女性器はどうしたって性行為を象徴してしまうのだ(一応書いておくが、この問題は男子に起因するからあえて男子を中心に話をしている)。

 差別語問題などでよく見られる悪循環だが、言葉を新しくしても、社会が差別的であれば、新しい語彙に差別的意味は付与される。同様に、おぱんぽんと呼ぼうがめちんちんと呼ぼうがジャスティスと呼ぼうがベルギーワッフルと呼ぼうが、その語の定着にともなって、性的な意味は少なからず付与されるだろう。言語は社会を正しく映すし、私は、公の場でみながいうほど社会から女性差別が減ってきているとは信じていない。むしろ、転用が起こることで「幼女の女性器」を指し示す言葉を図らずもつくりだしてしまうことの危険性のほうが検討されうるべきだと思っている。言葉には「強化」の作用がある。「スイーツ」という言葉が広まってから「スイーツ」のビジネスが興隆したように。

 女性器名称問題を人間原理にのっとって解決するならば、要するに、まんこをキュウリにしてしまえばいいのである。夏以外の季節、つまり性行為とまったく関係ない状況で、まんこを男子にいっぱい見せれば、語彙問題としての短絡性は失われる。*1

 「街中にもっとまんこを!」あーあ、たまにまともに論を進めた結論がこれときた。もう後悔は十年も前に済ませてますよ。*2

*1:スイカの写真を一年中見ている現代人がいまだにスイカと夏とを短絡させていることを考えると、写真や映像では言語生理学的には効果が薄いのかもしれない。となると私の想像した理想社会とはますますかけ離れた裸族化が待っていることになる。

*2:あと、これだけ連呼すると禁忌感は驚くほど無化するね。こっちの方法もありやなしや。