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ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

前回までのあらすじ

ここのところ、憑かれたように講釈を聞きに行っている

講釈師の先生に「連日ありがとうございます。お若いのに」と言われる

とっさに出た言葉が「お恥ずかしい」

あとで考えたらすごく失礼だ

いや、講釈が恥ずかしいのではないのです

いい年した男が毎日昼間っから演芸場に通ってることが知られたのが恥ずかしいのです

事情があってあんまりお仕事をしていないのです

今はそんな自分を棚に上げて静かに講釈に耳を傾けていたいのです

落語だと駄目を肯定されてますます駄目になってしまいそうな時もあるのです

そっとしておいてほしいのです

本当にすみません

やっぱり色々恥ずかしいです

ああ、雨の中の宝井一門会はなかなかよかった

琴桜きんおう)先生は「細川茶碗屋敷の由来」

落語の傑作「井戸の茶碗」の原形とも言える話

これは勉強になった

落語化の手法、というのか、ネタ作りの裏事情みたいなのに気づく

たとえば「面体改め」のくだり、講談では奥さんがやるので呼び止める様子が自然だが

落語だとおつきの者(名前なんだっけ)の武士がやるので、少し現実的でない

「井戸の茶碗」を聞くと、誰がやってもあのシーンはしっくりこないのだが、理由がわかった

要するに、落語はあのオチがほしくて、奥さんをむりやり消したのだ

その痕跡があの違和感なのだ

ほかにもいくつかの違いがあるが、そのすべての理由がわかった気がする

「笑いの大学」を見たときのように「笑いの作り方」を教えられた気分

大トリ、馬琴先生が講釈のテクストを見せてくださって、初心者にはとても勉強になる

先代の馬琴門下の弟子関係の話も、ミニ講談史を聴いてるようで結構惹きつけられる

ああ、そうだ、馬琴先生

「秋の田をひっくり返したような」っていうのは、

「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ」ってことで

「天地(天智)をひっくり返したような」っていう地口だと思ったんですが、正解ですか?

帰りしなに言おうかとも思ったのですが畏れ多くてそそくさと逃げ帰りました

こんなブログを読まれるとは思っちゃいませんが、こっそり書いておきます

あと、前座が少なくて大変そうだった

雨の中もぎりをやってるのが琴星先生(60代)と琴嶺先生(70代)ってんだから……

びっくりを通り越して、我が目を疑ってしまいます

洋服を着た講釈師の先生を見ると一瞬誰だか分からないのです

だから返答につまってしまうのです

数々の非礼お許しいただきたい

本当にすみません

やっぱり講釈好きです。懲りずにしばらく通います

一緒に通ってくれる人もこっそり募集しておきます

ひいきは琴調先生です。これは譲れない ←イマココ