ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

ダンディとつぶやきと講談と落語

芸人の間では、ダンディ坂野さんは「師匠」と、つぶやきシローさんは「先生」と呼ばれているそうだ。


どちらも「昔ブレークしたピン芸人」というカテゴリにくくられていて、僕ら素人から見る限りは、どちらも同じような「ショボさ」を売る芸風であるようにもみえる。でも、私は、その二人の呼ばれ方の違いを耳にして、「なるほど」と合点がいった。


言うまでもないことだが、話芸の世界では、落語家のことは「師匠」と呼び、講談師のことは「先生」と呼ぶ習わしがある。そして、ダンディ師匠とつぶやき先生との二人の芸風は、この話と無関係ではない気がする。


ダンディ師匠の芸は、一貫して「しょぼい私を笑ってください」というテーマに沿っている。「気が弱い」「かっこつける」「性格悪い」「我田引水」「空気を読まない」そういった人間の持つ様々な弱さを、「ダンディ坂野」というキャラクターに背負わせ、笑われる。「人間の弱さを弱いままに演じて見せ、客はその滑稽さを笑う」というのは落語の最大の魅力のひとつだ。その点で、ダンディ師匠の笑いは、「落語」と通底しているように思える。


一方、つぶやき先生の芸は、「講談」的である。典型的な「社会の負け組」の視点から、世の中のうまくいかなさ、不条理さ、それでも世界にあるささやかな楽しみなどを「あるあるネタ」という形にしてつなげていく。言葉の一つ一つに磨きをかけて。その修辞に満ちた美しいリズムは、一流講釈師の読む軍談のように淀みがない。そもそもつぶやき先生の芸は、つぶやき先生が何かを演じているのではなく、あくまでその「語り」を聞いて楽しむものである。


この敬称はなかなか「芸」の本質をついていると私は思う。二人の芸風から無意識に感じとってこう呼んでいる芸人の方々はさすがに敏感だな、とも感心する。たまたまかもしれないけど。


ちなみに私は落語より講談の方が、ダンディ坂野よりはつぶやきシローの方が好きである。8月8日(土)9日(日)は渋谷で講談の定席があります。怪談シーズンですので、よろしければ、どうぞ。琴調先生の出る日曜日のほうがオススメ。*1

http://kodankyokai.com/schedule.php

*1:このエントリ、真顔すぎて少し恥ずかしいです。仕事モードが抜けてないな、これは