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昨晩久しぶりに「恋する惑星」を観なおしたら主人公たちのまぶしさの毒気にあてられてしまった。今は身の回りの現実すべてが色あせて見えてしまっている。今日は前に進むのにしばらく時間がかかりそう。
「恋する惑星」は、たぶん銀座テアトル西友か渋谷シネマライズで観た。当時20歳。一人で観たような記憶もあるし、彼女に連れていってもらったような気もする。当時の彼女は映画関係の仕事もしていて、一緒に亀有名画座でピンク映画を見たりもした。
僕のベリーショート好きと丸くて小さいサングラス好きは、そんな童貞卒業ほやほやみたいな時期に「恋する惑星」のフェイ・ウォンに惚れてしまったのがルーツなんだな、といまさら気づいた。こんなの単純すぎてフェティッシュとも言えない。
38歳の今は、フェイ・ウォンの髪型やサングラスより、業務用ゴム手袋で軽くお尻を振る様子などに見とれる。20歳の頃そんな単純でなかったら、ゴリゴリのゴム手袋/ラバーフェチへの道に進んで、今ごろイメクラなどで特殊なオプションをオーダーして生きる中年になっていた可能性だってある。
「恋する惑星」「パルプ・フィクション」「リアリティ・バイツ」「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」「ノーバディーズ・フール」「エド・ウッド」……。1994年の映画には愛着があるものが多い。いい映画が多いということではないと思う。ただ単に僕が「二十歳」だったのだ。
ここまで書いてやっと気づいたけど、僕は昨晩、「恋する惑星」を通して、公開当時の空気をもろに吸ってしまったということなのだろう。まぶしい毒を発散していたのは映画の中のフェイ・ウォンじゃなくて、僕の体の中の1994年だ。
酔っ払って、ふらっと入ったバーが1994年だったらどうしよう。時間が止まったまま古びてきている、という店ではなく(そんな店は阿佐ヶ谷では珍しくもない)、突然に「あ、ここはいま1994年だ」と気づいてしまう空間に入ってしまったとしたら。僕のある部分は自然に二十歳に戻ると思う。
そうだな、初めはとまどうだろうけど、とはいえ酔っているのだ。その時間のねじれをぼんやりと納得して、当時好きだったローリングKでも注文して、バーテンさんに音楽をかけてもらおう。もちろん、この曲をね。