ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

志村ミルクレープ

 怪獣映画に出てくる志村喬さんの表情が好きだ。

 志村さんは、いわずとしれた、クロサワ映画の顔の一人である。現在では三船敏郎よりも人気があるかもしれない。『7人の侍』のリーダー格の侍(勘兵衛)とか、『生きる』の主人公の末期がんのブランコのおっちゃんといえば、なんとなく顔が思い浮かぶだろうか。

 黒澤明監督のみならず、本多猪四郎監督にも気に入られていた。東宝映画に恩があったこともあって、志村さんはたくさんの東宝怪獣映画にちょい役で出ている。

 役柄も多彩だ。あるときは山根博士、またあるときは安達博士、はたまた園田博士、なんとびっくり塚本博士……。だいたい博士だった。唯一、『モスラ』の時だけは新聞社のデスク役だったが、ちょっと役柄を冒険しすぎたのだろう、ひどく違和感があった。次の年の『妖星ゴラス』では博士に戻って一安心だ。

 志村さんは、脂の乗った時期にクロサワ映画に出てその名が知られ、晩年には怪獣映画にも出ていた、と誤解されていることが多い。まったく違う。『七人の侍』と『ゴジラ』は共に1954年の映画だ。志村さんは「怪獣とクロサワのかけもち」をしていたのだ。wikipediaの「志村喬」の項目の、出演リストのいちばんすごい部分だけ引けば、

  • 『用心棒』(1961年)
  • モスラ』(1961年)
  • 『椿三十郎』(1962年)
  • 妖星ゴラス』(1962年)
  • 『天国と地獄』(1963年)
  • 『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)
  • 『赤ひげ』(1965年)
  • 『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965年)

である。クロサワと怪獣の見事なミルクレープだ(この間、他の東宝映画にも出ているけれど)。精神を蝕む人体実験のように見えなくもない。さすが志村喬、よくぞご無事で。

 博士の志村さんは「緊迫感のある棒読み」を得意としていた。怪獣がどこから来たかとか、どういう経緯で成長したかとか、なんとなく科学っぽいんだけどよく聴くとすごく非科学的で、結局の真相はよくわからない解説。内容のわりに短くないそんな台詞を、語気を強めつつ、一気に言い切る。一気に言い切らねばならない。怪獣がすぐそこまで迫っていて、志村さんに与えられた秒数は少ないのだ。

 そのときの、内容を理解しているともいないともつかない表情が、好きだ。宝田明の仰々しさに比べると、明らかに一歩身を引いている感じ。やる気がないように見えなくもない、でも至って真面目な表情の、あの感じ。大好きだ。

 2月11日は志村喬さんの命日である。黒澤明よりゴジラのほうが広く知られているであろう現在のこの国のことを、志村さんはどう思うのか。いや、何も語らず、天国でも、ただ誠実に与えられた役を演じているのだろう。次のシーンで大暴れするのがミフネだろうとバラゴンだろうとに関わらず。