ねこの森へ帰る

なくした夢にもどっています

サンリオグッズの思い出は、なんであんなに切ないんだろう

サンリオグッズの思い出は、なんであんなに切ないんだろう。
ハローキティマイメロディ。彼らの遙か後方に置き去りにされた数々のキャラクターたち、たとえば、パティ&ジミー、タキシードサム、キキララ。私より若い世代なら、けろっぴ、ハンギョドン、たあ坊、しんかんせん。はっとするキャラは人それぞれだろうが、こうしたキャラのグッズにまつわる思い出は、諸兄諸姉のたましいのひきだしに一つ二つ引っかかっているだろう。そして、それらの記憶は、他のどの記憶よりも気恥ずかしく、ものがなしく、時に、忘れたくなるほど苦くはないか。
私にもいっぱいある。
昔、パティ&ジミーのごみ箱で姉を殴ってしまったこと。ちょうど姉の頭頂部の形にへこんだごみ箱を、その後もずっと使っていたこと。
大切にしていたキキララの鉛筆を父に削られて大泣きしたこと。
バレンタインのお返しに、母のアイディアで、マイメロのタッパーウェアに不二家の安売りの飴を詰め込んでプレゼントしたら大不評で、次の日からあだ名が「タッパ」になりそうだったこと。
……サンリオは苦い。


困ったことに、サンリオグッズはこの文明社会の至る所に潜んでいる。小汚い飲み屋の無愛想な主人が帳簿代わりに使う油まみれのノートに笑うたあ坊。久しぶりに会う母が普段着にしている姉の古着にプリントされたハローキティ。実家の学習机のひきだしを整理していて見つかるタキシードサムの鉛筆削り。ブームから何十年過ぎようと、私の前にふいに現れた彼らは、まるで一目惚れのような切れ味で人の心を揺さぶり、私の中の黒い記憶をいいようにまさぐって愉悦する。これを書いているまさに今、「けろっぴの浮き輪」がキーワードのよこしまな記憶が頭をよぎった。やばい。ちゃんと思い出したら耐えきれないかもしれない。封印します。

日本中から、サンリオグッズにまつわる黒メモリーを集めてみたい。絵馬として奉納するのもいい。参拝者は、それぞれのキャラクターの絵馬を買い、裏面にそのキャラクターやグッズにまつわる忘れられない思い出を記入するのだ。そして大晦日、キティの着ぐるみをまとった宮司数名の手で、盛大にお焚き上げをしてやろう。
お焚き上げの煙は夜空に舞い上がり、一瞬、サンリオ的に戯画化されたマンガチックな雲になったかと思うと、消える。
ピューロランドはそういう目的のために建立すべきだったのだと思う。


おさるのもんきちの誕生日である。お目出度う。
http://www.sanrio.co.jp/characters/detail/monkichi/index.html